Written by Nereus Program Manager and Research Associate, Andrés Cisneros-Montemayor

現時点で、世界中で起きている乱獲から北極圏の溶解にいたるまで、海洋が直面している多くの問題にチェックマークを付けて議論を始める必要はない。1800年代の産業革命以来、自然のシステムの中で人間が引き起こした最も劇的な衰退の危機であると言えば十分だろう。そして、世界で最も貧しく、最も脆弱な人々が悪影響を最も受ける。国連リオ+20会議において、小さな島嶼国(「小島嶼開発国」)が、生態学的に持続可能で社会的に平等な経済発展を重視するグリーンエコノミーのような開発の枠組みが必要だという議論の中で、「ブルーエコノミー」の考えが出現した。農業技術は、耕す土地がなければあまり役立たない。そのため、この小さな孤立した島々は、広大な海域を利用する開発計画が必要なのである。

漁業がこれまでのような生産性を保てなくなった場合、沿岸風力エネルギー、水産業およびエコーツーリズムのような新しい海洋基盤の産業は、孤立し疎外化しがちな沿岸域コミュニティにおいて、新しい代替え産業を補充する可能性がある。洋上風車を動力源とした辺鄙な場所にある沿岸域の集落、または製薬会社と提携して新しい海洋化合物の利益を共有しようとする国家経済について想像して欲しい。ここで重要なのは、地元の人々の協力、情報提供、参加を得て新しい産業を発展させ、開発のために地元住民を立ち退かせるのではなく、彼らのニーズと見通しが新たな発展の一部となることである。

しかし、ブルーエコノミーの概念は、革新的でも任意的でもない環境の持続可能性の付加的な要素があり、産業開発のようなビジネスの利益と関わる「社会的平等」の部分に焦点が当てられなくなっている。(例えば、エコノミストに掲載されたブルーエコノミーに関する記事では社会的な考慮は言及されていない。)これは、最終的には豊かな産業(石油やガス)に支えられている右派の政治家による最近の利益を見ればわかる。この権利の台頭と同時に、世界中の資本主義的、個人主義的世界観が勝利する現状である。このような状況下では、思いやり、脆弱な人々に対する協力、環境や人間の将来に関することが、短期的な利益のために軽視される。この世界観における基本的な欠陥の一つは(純粋に持続可能な開発の観点から)、深刻な影響をもたらした同じシステムが、ある日解決策につながると期

待される。(例:技術は議論の方法を見つける)短期的な思考を核としたシステムは、どのように長期的な幸福につながると期待できるのだろうか。

したがって、生態系や経済ガバナンスの核は、捉えどころがない経済成長を追いかけながら、社会的平等の要素を除外している。政策決定者や一般市民が、持続可能で平等であるという観念に関して興味を失うと、基本的には善意ある政府(産業及び個人)が、目標を抑制したり、競争が激しくなるリスクを強いられる(「正直者は馬鹿を見る」効果)。カナダ政府が最近決定したことが一例である。長期に渡り持続可能で再生可能な産業のキャンペーンをしたり、パリ協定の早期支持者となったにもかかわらず、新しい石油パイプラインに多額の投資を行う決定をした。石油の利益は国家経済の重要な一部であるのは真実であるが、石油抽出は持続不可能な産業として定義される。カナダには再生可能エネルギーの十分な可能性がある。石油抽出を継続していたら、排出量の目標は達成されない(地球気候変動に明らかにマイナスの影響を与える)。持続可能性や平等性について、先住民コミュニティの必要性や意見を無視した計画は、沿岸域や海洋生態系へのリスクが大幅に増加し、南部に生息するシャチの減少を加速させる可能性があるだろう。この批判は、その後カナダ連邦控訴裁判所に支持され、このプロジェクトは、懸念に関して適切な対処がなされるまで中止することを命じられた。この事例が、世界の他の事例よりも悪いと言っている訳ではない。持続可能な取り組みに関するグローバルリーダーでさえ、強大な協力無しでは世界経済に追随するのが困難なのが分かるだろう。

長期的な持続可能性は、岐路に立たされている。急速な技術開発は、「海洋産業開発」と呼ぶ新しい産業に可能性を広げている。同時に、国際交渉において、漁業助成金のためのよりよいガイドラインや、新しく改善された公海や深海の管理戦略(例:国家管轄外の地域と生物多様性)など、人間と海洋システムへの深刻な被害を反転し防止する新しい方法を確立しようとしている。海洋は、究極のグローバルコモンズであり、私たちは人間、海洋生態系に深刻なダメージを与えてきたが、陸上の変化と比べると、直面している困難をまだ乗り越えられる。ブルー・エコノミー・アプローチは、海洋や人類の幸福を改善するための、新しい一歩を踏み出す方法であるとされていた。しかし、私たちが慎重に考えなければ、海洋の終焉となる危険性もはらんでいる。