環境の物語を統制するのはいったい誰なのか。ネレウスの研究者たちは、沿岸地域に住む先住民漁業についての研究を一層深く追求しており、世界の先住民コミュニティーメンバーとの関係を築くにつれ、海洋ガバナンスの核心概念の多くを再考し始めている。環境、天然資源、管理、知識をはじめとする基本的アイデアについて。人間と海洋生態系の研究者としてのこれら概念に対する理解が、私たちがどんな質問を、誰に投げかけるのかにどのように影響してきたのだろうか。

太田義孝(ネレウスプログラムディレクター・政策)は、先住民族の学者 Winona LaDukeがワシントン大学を3月に訪問した際、これらのアイデアについて彼女と話し合う機会を得た。LaDukeは、40年以上に渡り、ミネソタ州北部のホワイト・アース・リザベーション内(White Earth Reservation)そして世界的にも、先住民コミュニティのための社会、経済、および文化、環境の公正を訴えてきた。

太田:いくつか質問があるが、まず初めに質問したかったことは簡潔に、環境とはいったい何ですか?

Winona: すべてが環境です。土地も、水もそう。私たちの領土には様々な世界があり、それらの世界のすべてが私たちの環境です。多くの人々が思うところの「環境」は、ヨーロッパ中心の解釈です。私にとっては、生きている存在がよりたくさんあるのです。l例を挙げると、私は、スーペリア湖近くの部族が権利を所有する土地に新しいパイプラインを通す際に発生する、環境への影響に関する声明をまとめています。人々にインタビューすると、彼らは湖に住む人魚の話をしてくれました。そこに住む人魚です。それらが科学的に存在しないことはわかっています、でもそういう話ではないのです。私の世界観には、人魚は存在しているのです。人魚は、未知の、自然界のスピリチュアル要素として知られていのです。

太田:先住民グループとの交流についての話題になると、先住民の知識についてよく話され、またその知識を他のことに利用することによって説明されたりします。保全や管理などにその知識を利用している、と。私はそれがとても不自然に感じるのです。私は、そういった知識は、むしろ一つの歴史だと考えているのです。その場所で起こったこと、争い。またこの植物をいつ収穫できるのか、いつこの茂みを刈ることができるのか、それだけではない。それ以上のものがそこにあるのです。

Winona: (頷きながら)統合された知識。多くの場合、先住民の知識は先を行くだけでなく、科学的知識を超えるのです。氷の質を考えてみてください。イヌイットほど深く氷の品質を研究した人たちはいません。薬学的知識にしてもそう。科学者たちは「この植物についてこんな発見をした。」となるでしょうが、私たちにとっては、そうです、すでに知っていたことなのです。私たちがトウモロコシを灰で調理する方法が良い例です。ひきわりトウモロコシを作るために灰で調理します。そうするとビタミンBが活性化するのです。John Hopkinsは、それについて説明してくれたのですが、どうして知っていたのですか?という感じでした。私は、そういえば、どうして知っているのかわからないです。いつの間にか知っていたのです、大昔に誰かが発見したのでしょう。そう答えました。」

時間、これが2人の会話で共通のテーマだった。ヨーロッパの歴史のタイムラインと先住民のタイムラインを切り離すと、全ての逸話につながる。

太田:あなたは、ひいひいひいおじいさんと同じ場所に住み、そのコミュニティの誇りとつながりの特権について話されてきました。その視点から環境的変化をどのように見ていますか。

Winona : そうですね、生物学的記憶喪失というアイデアに辿り着きます。例えば、長老たちと多くの時間を過ごしてきました。実際に見たことがなくても、我々の土地にブルーベリーがあった時のことを覚えているような感覚があるのです。長老たちに昔そこにあったことを聞いたことがあるからです。ある長老にインタビューした時に、このことについて話しました。彼は、インタビュー中に私を止めて「Winona、そのブルーベリーを取り戻すことはできるかい?私たちはブルーベリーを待ち望んでいたのだよ。ブルーベリーを取り戻すことはできる?」私は立ち止まりました。私がブルーべり―を取り戻せるかと聞かれるなんて、なんという概念でしょう。変化についての質問でしたよね。何を言おうとしているかというと、彼らがしてきたことが、私には分かるのです。

彼女は「彼ら」と言いました。部屋が満たされるように。誰をも立ち止まらせるように。外の手入れの行き届いた芝生、美しい植え木、舗装された道路、石造りの建物、私たちが知る土地のすべてが沿岸セリッシュの人々の所有地なのだ。私たちにも見せてくれるかのように、彼女は「私には、彼らがしてきたことが分かる」と話した。

Winona: 何が正しくないのか、私にはわかります。どうあるべきかもわかります。バッファローが泥遊びできる場所を知っている。何が起こったのかも知っている。そこにバッファローやエルクがいたのだということがわかる。しかし、いろんなものが入り込んできた。 変化は避けられないのはわかりますが、誰がこの変化を管理するのかが問題です。変化があるのなら、代理人が必要です。何を言いたいかわかるでしょう?持ち込んで来られたものは全くうまくいかなかったのです。 何が起こったかわかるでしょう?

彼らは皆伐し、捨てたのです。ミネソタ州に我々の土地は台無しにされたのです。

太田:手つかずの環境についての考えをどう受け止めますか。

Winona: これらすべての場所は「手つかず」で、私たちが管理してきました。メープルシュガーを作るために木々の世話をし、ブルーベリーを待ち望んで、植栽しました。私たちが住む場所には誓約(契約)があり、そこにある資源に対して私たちの権利は認められず、しかし責任はありました。その場所を大事にしたら常にその恵みを食せて、そこで生き続けることができるという理解でした。私は、自身は先住民だと思っています。管理者ではなく。私は、管理という言葉が嫌いです。なぜならそれはヨーロッパ中心主義の言葉だから。先住民の知識や慣行は、長期的な持続可能性のために不可欠です。北部ミネソタは絶好の例です。メノミニー族の土地は、居留地を3倍以上減らしたにもかかわらず、今でも150年前と同じ数の木があります。彼らは統合森林管理計画を用いて、それが見事に機能したのです。一方で、ヨーロッパ中心の人種差別的白人特権に関連して、ヨセミテ公園の事例が挙げられます。セレモニーのためにラウンドハウスを建てようとしましたが、追い出される結果となってしまいました。

太田:手つかずの公園管理をするという考えにおいて対立があるからですよね?自然と人間の間に線引きをする傾向がありますね。

Winona:それが彼らであり、彼らの見方なのです。彼らにとって権力がすべてなのです。私にとっては責任の方が重要なのです。

太田:最後に。ここにいるワシントン大学の若い学生たちは、今日あなたに会うのをとても楽しみにし、非常に尊敬しています。彼らに何を伝えたいですか?

Winona: あなたたちを必要としている場所に行ってください。自分のコミュニティに戻ってください。首尾一貫して、批評的であってください、繋がっていてください、あなたの特権を使ってください。ワシントン大学に通うことで多くの特権があります。世界のヨーロッパ中心主義を掲げる人たちは賢いですよね、ご存知のように。あなたたちがいてくれるから私は退職できるの。あなたたちが私の後に続いていってくれるでしょう。ストレスいっぱいの生活を送りたくないのです。私は退いてのんびりと過ごしたいのです。麻を育て、ゴートチーズを作りたいの。それが私のプランです。

手つかず、管理、知識、人間、自然、環境。我々は、科学者としてそのようなアイデアに明確な疑いのないラインを引くために、人々、植物、動物、考え、それらを作るシステムを区別するためのトレーニングを受けてきた。このラインがどこから来たのか、そして、だれが利益を得るのかを深く考えるべき時がきた。そのラインを消し去ること考える時がきたのだ。

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日本財団ネレウスプログラムは、正直で率直な見識を分かち合ってくれたWinona LaDuke氏に心から感謝します。

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